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一絨毛膜一羊膜の双子(♀&♀)と妹達の成長~

一絨毛膜一羊膜の双子(♀&♀)と妹達の成長~

告知~その2(入院生活・・・24週)

入院当日。
大部屋を希望していたので、病院にいく前に部屋の空き状況を確認してくださいと言われていました。
早速電話。部屋の確保はしてあるので大丈夫ですとの返事でした。
病院へ行き、入院保証金を支払い、部屋へ案内されました。
とても広い2人部屋・・・
「あれ~かなり広いけど、これが大部屋なんだ。個室でないのは間違いないけど・・・」
大学病院ですので、殺風景ではあったものの電動ベッドにテレビ、個人電話。洗面台。冷蔵庫がないのは残念でしたが、思ったより快適そうなへやでした。
荷物は車に積んだままでしたので、親に頼んで、私は診察を受けることになりました。
前回よりも念入りに超音波モニターで確認していきます。
臍帯血流派形などもしっかり記録されていきました。
検査が終わって、部屋に戻ると待ちくたびれた親が立っていました。
かなりの時間、待ったようです(私は検査を受けていたので気づきませんでしたが・・・)
早速、マタニティ服からパジャマに着替えました。
すると間もなく、担当の先生の紹介がありました。
女医のO先生。なかなかの美人。物腰も話し方もエレガント。
私もこんな女性になりたかったと思うくらい・・・
この先生が担当で、本当に良かったと思います。とてもキメ細やかに接してくださり、とても信頼することができました。

現在の二人の体重はは406gと606g。
406gのほうはS児(Sちゃん)606gのほうはL児(Lちゃん)と呼ばれることになりました。

詳細については、後日夫にきてもらい、夫婦で説明を受けました。
その内容は次のとおりでした。

*臍帯が絡み合っているため、非常に危険な状態である。
*S児の臍帯が細いうえに、胎動時に引っ張られたり、更に巻きついたりしているので、除脈になりやすい。
*S児が誕生する確立。現状だと0%。L児で50%。
体重が600gを超えないと生存が厳しいのが現状。
*S児の血流波形にむらがあり、ノンストレステスト(心拍を測定)でも
危険な波を観測することがある。
(これは、入院当日の夜に体験することになります)
*当面は、S児よりL児を誕生させることに重点を置く。S児にもしもの事があった時には、L児を救出するため、緊急帝王切開を行う。
*24時間モニターをつけている訳ではないので、途中で何かあっても(例えば、夜は生きていても朝は・・・ということがあっても)それは防ぎようがないので、覚悟してほしい。

たしか、こんな内容だったと思います。
覚悟していたものの、具体的に目の当たりにして、私はいったいどんな状態だったのでしょうか・・・へらへら笑っていたような気がします。
夫は真顔(当たり前ですが)でした。

今の医療をもってしても、どうすることも出来ないのが現実。
母体から出られる状態になるまで・・・外の世界で生きていけるようになるまで・・・何とかお腹の中で成長するのを待つしかありませんでした。


その日、担当の先生から
「部屋の説明、聞いていますか?」
と尋ねられました。
部屋の説明???

私の案内された部屋は、MFICUといって、一般病棟とは異なりました。
(費用は一日約7万円!!健康保険を使っても一日約21000円。最終的には、月ごとに請求できる高額医療である程度は戻ってきますが・・・
この費用の中には、ノンストレステストや超音波モニター、点滴など、ほとんどの医療行為代が含まれています。通常だと、ノンストレステストが1回いくら・・・となりますが、それを気にせず全部込みの一律料金みたいな感じでした。もちろん保険外診療は自費になり、別会計です)

他の入院患者さん(妊婦さん)は、例えば破水して羊水が極端に少なくなってしまったり、子宮口が開いてしまったけれど、まだ出産する週数ではない人などがほとんどでした。
救急車で担ぎこまれるケースが多いようです。
そのまま持ちこたえられなくて出産になってしまう人や、ベット上から動いてはいけない人(中には起き上がることさえ禁止されている人もいました)
など、緊迫した状態の人たちが入院していました。
そんな中、全く行動制限されていなかった私は、同室の人(入院中、5人の人が入退院しました)から
「なぜここに入院しているの?」
と不思議そうに聞かれていました。
確かに母体は健康、外見上は何でもないのですから・・・
その度
「特殊な双子妊娠なもんで・・・」
と答えていました。

さて、入院した日の夜・・・最初の危険状態が訪れました。
夕飯も終わり、入院初日も無事に終わるハズでした。
就寝前のノンストレステストでS児が除脈になり、状況を確認することになりました。
状況がいまいち理解できていなかった私は
「いったい何事??」
その後、超音波モニターでS児が除脈になったり戻ったりを繰り返している事が判明しました。
お腹の張りもあったらしく(この頃は、張りの感覚がまだ分かっていませんでした)「ウテメリン」という点滴と、酸素吸入も始めました。
(この時から「ウテメリン」の点滴とは長いお付き合いになりました)
そこへ、なんとレントゲンの機械が登場。
そのまま部屋でレントゲン撮影。
超音波モニターや分娩監視装置(ノンストレステスト用の)、レントゲンの機械まですべてが部屋に入っていました。
このような緊急時のために部屋が広いんだ・・・なんて事を思っていました。
血液検査をその場で受け
「もしかしたら今日、出産になるかもしれない」
と伝えられました。
「ええええ”!!!」
びっくりです。
二人部屋でしたので、MFICUの個室に移動することになり、ベットのまま移動しました。
しばらく超音波で様子を見ていましたが、なんとS児はのんきにシャックリしていました。
先生方が協議した結果
「この日初めて確認が取れたわけですが、もしかしたら今まで(在宅でも)ずっとこの状態できていたのかもしれない。今出産しても危険な状態に変わりないので、このまま様子を見ます」
という事になりました。
念のため、その日一日はノンストレステストの機械はお腹につけたまま入眠することになりました。
(このときは、初めのほうに記載している状態について、まだ詳しく聞いていませんでしたので(夫と一緒の時に・・・と言われてましたので)状況把握ができていなかったように感じます)

ところが・・・
ウテメリンの副作用で、動機はするし、手は震えるし・・・でほとんど眠ることはできませんでした。

翌日には、また元の二人部屋へ移動。
お隣さんに、夕べは騒がしくてごめんね・・・とあやまり、夕べの話をすると、
「あの個室に行った人は、ほとんどそのまま出産になるから・・・よく戻ってこれたね」
と感心されてしまいました。
このお隣さんは、1ヶ月ほどMFICUに入院していまいたが、臨月にはいり、無事退院していきました。MFICUに入院しても、皆が皆そのままお産になるわけではないようです。
このお隣さんには、一番お世話になったと思います。
(MFICUでのすごし方をかなり伝授してもらいまいた)






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